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2010年04月23日

白球を追いかけて・・・(13)



「あいつ」との話しは、また今度重ねるとして
話しを戻して「野球」の話し・・・

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希望者5人という「超激戦区」のセカンド・・・。
セカンドと言うと華麗な「投手」やホットコーナー「三塁手」に比べ
地味で暗い(巨人の土井の影響?)扱いだが、
例えばバント処理で1塁手と3塁手が突っ込んでくる中、1塁へのカバーをしたり
バントと見せかけてエンドランだった場合には
併殺を取るため2塁ベースに入ることもあり
外野に抜けたボールに対しては当然、中継にも入る。
一方、他の内野手を見ると
ショートが3塁に入ることはゼロとは言わないまでも稀なことで
三塁手が2塁ベースに行<ことはないし、
一塁手が2塁ベースに行くことも通常はな<
1つの塁を守っていれば基本的に「事が足りる」世界・・・
そうなんです、セカンドというポジションだけ2つの塁を守り
したがってそれだけ動けなければならないし
動きながら状況判断が必要なポジションなので
よく「内野の要(かなめ)」と言われるのでは・・・と思っています。

そんな中、おっキーの実力は? と言うと
ここは全くの「私見」だが、守備力、状況判断対応などは普通レベル、
打撃はちょっと上、そして走力(足の速さ)だけはトップ・・そんな感じ。
走力と言っても当時は100mって計ったような記憶がなく、
50mだったら6秒3だったのを覚えているが
1塁までの27mを走らせるとチーム1速かった。
ただ足の速さイーコール盗塁ではないが、塁に出ると盗塁のサインが多く出され
おっキー自身も盗塁には自信を持っていた。
また足が遅い人から見ると「セフティしたらいいのに・・」と思う場面でも
逆に足の速い選手はセフティより打ちたい願望が強く
例えばセフティを失敗した(ファール)後にまたセフティの構えをし
突っ込んでくるサードに強い打球を打つ、みたいなことも当時「快感」たった。
打撃については・・・
以前、「サヨナラ2ラン」のことを書いたが、
実は中学上がる前の春休みにおっキーは左バッターに転向した。
理由は2つ・・・1つは足の速さを生かすこと、もう1つは左の打席に入って
ピッチャーのボールを見ると、なぜかボールが「遅く」感じられたことだった。
今でこそ「右投げ左打ち」は多く、当たり前のような風潮もあるが
当時は「かっこっけ!」とか「ふざけてるのか」など
嫌味や陰口を叩かれることもあり
左バッターヘの転向は中々「勇気」の居ることだった。
そういうこと(陰口)はおっキーも十分覚悟していたわけだが
そうならないためにも、みんなに認めてもらうためにも
必死になって(自己)練習したのを覚えている。

【当時の自己練習・・・】
金属バットが出始めた当時、金属バットは値段も高く、
部用としては勿論使っていたが、私物として持っていなかったので
最初は木片をカットして、グリップのとこを紙ヤスリで削り、形を整え
石ころを集め、4つ下の弟に投げてもらい打撃練習をした。
(※自宅の向かいは山みたいな草むらだった)
それは朝だったり、夕方だったり、時間かあれば・・という感じで
毎日やっていたが、しばらくすると木片が石ころに負けて
ボロボロになり、するとまた新しい木片を探して・・・みたいに。
高め、低め、内角、外角・・・自問自答しながら、そして
引っ張る、流す・・というように目的を持って。
心の中ではいつも
 「みんなにバカにされないように、そして絶対レギュラーになる!」
 ・・・その思いだけだったと思います。
するとある時、母が、今考えると木片バットに見かねたのか
本物の木製バット(大人用で重かっだけど)を職場の人から譲ってもらい
そのバットのヘッド部分にビニールテープをぐるぐる巻きして
それを使って石ころを打つようになった。
しかししばらくすると今度は手にマメができ、剥けて・・・薄ぐなった皮を
無理やりむいて、そこに絆創膏を貼り、それでも引っ張られるように痛いので
さらにゴルフの手袋(安いやつ)をしたり、グリッブのとこに薄いタオルを巻いて
素振りや石ころ打ちをした。
今思えば、自分勝手な兄貴のために
たまにライナー(石ころ)が当たって「もう、嫌や!」と
泣きながら家に逃げ込み、それでも付き合ってくれた弟
木片バットを見かねてバットを譲ってもらい見守ってくれた母・・・
そう考えると「家族」の有難さ、家族の支えを今更ながら感じます。
白球を追いかけて・・・(13)

「新中学生諸君!」
ここまで練習したこと、ありますか?
 「自慢?」に聞こえるかもしれないけど、これは「自慢」じゃないよ。
 「自慢」と言うより、言葉ではめるなら・・・「自信」。
当時、ここまで練習している奴、居ないと思って練習していたし
 「よし、これでいい」なんて1度も満足したことなかった。
石ころ打ちで箸も持てないほど手が腫れて、
それを痛がると母親が心配するので痛くないふりをして
スプーン使って食事し、食事の後に暗くなった外での素振り。
 「絶対、レギュラー獲ってやる!」という思いは
いつしか「絶対、負けない!」という自信に変るものなのかもしれない。

白球を追いかけて・・・(13)



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Posted by メジャー at 07:00│Comments(2)読み物・・・
この記事へのコメント
メジャーさん おはようございます。

レギュラー獲得に死に物狂い必死だったんですね〜
物も無く、いろいろ工夫して頑張る少年時代。
弟さんと酒を酌み交わすと、石ころトス役で当てられた話をするんでしょうね?
Posted by o(T△T=T△T)oマッシー!! at 2010年04月23日 09:48
メジャーさん、こんばんは!

プロフィール欄の生年月日見ると1つ先輩のようですね。
どこかでお会いしたことあったかもしれませんね。
石ころバッティング練習すごいですね。
向かいの山があったからこそですね。
素晴らしい自信が持てたことはとてもいいことだと思います。
息子さんもきっと同じ頑張り屋さんなんでしょうね。
Posted by 北玉パパ北玉パパ at 2010年04月24日 23:58
 
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